桃の節句・端午の節句、その由来とお祝いの方法やマナーとは?

この記事は2018年2月14日に更新されたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

3月3日は女の子が主役の「桃の節句(雛祭り)」、一方5月5日は本来男の子のお祝いでしたが、近年では「こどもの日」として、全てのお子さんのお祝いをする風潮のある「端午の節句」。どちらもパパ・ママにとっては記念すべきお祝いの日には変わりません。今回はそれぞれの節句の由来と、お祝いの方法・料理、そして、お祝いの場に招待された、招待をする側のマナーなどをご紹介します。

 

目次

「桃の節句」「端午の節句」それぞれの由来とは?

「桃の節句」の由来は?その歴史とは

「桃の節句」は、古代中国の魏で3月3日に行われていた「上巳の節句」が由来だとも言われています。「上巳の節句」は、河で身を清め、宴会を行うという習慣でした。時代は過ぎ、日本でも平安時代に入ると、同じように3月3日に禊の儀式として、薬草を摘み、その薬草で汚れを払い厄除け祈願とした日本オリジナルの「上巳の節句」が行われるようになりました。中国でも日本でも「上巳の節句」は決して女の子の行事ではなく、年に5回ある節句のうちの1つという位置づけでした。節句は季節の節目という意味合いもあり、節句毎に厄払いの行事が行われていたそうです。「上巳の節句」は、薬草で汚れを払う儀式から、いつしか紙人形から発展した「雛人形」を川に流す「流し雛」という形に代わります。現在でも東京・京都・鳥取など多くの地域で「流し雛」の風習が残っています。室町時代になると宮中で現在のような豪華な雛人形を飾るようになりました。その後、江戸時代に入り女の子の人形遊び(ひいな遊び)と、「上巳の節句」の行事が結びつき「雛祭り」として全国的に定着します。と同時に徳川幕府が「3月3日を桃の節句とする」と定めたため、「上巳の節句」から「桃の節句」に変化し、女の子のひいな遊びから発生したため女の子の節句となりました。なぜ「桃の節句」というようになったのかと言いますと、3月のこの時期に花をつける桃は、古くから厄除けや皮膚疾患に効くとされてきました。(今でも赤ちゃん向けに桃ローションが販売されていますよね)。そのため、邪気払いの意味もあった節句と結びつき「桃」が節句の象徴とされるようになりました。

 

「端午の節句」その由来とは?歴史も知ろう

「端午の節句」は雛祭りの上巳の節句と同様に古来から五節句のうちの1つとされていました。具体的な発生時期はわかっていませんが、奈良時代には田植えの時期に稲の神様への豊穣祈願として、若い女性達によって神社などに籠り汚れを払う「五月忌み」という風習がありました。この風習が中国から伝わった「端午の節句」の風習と合わさります。この時点では、「端午の節句」は女性によって行われていた行事でした。しかし、平安・鎌倉時代になると、これらの行事は宮廷内での厄払いといった意味合いを持つようになり、徐々に廃れていきます。宮廷では廃れてしまいましたが、武家社会においては「端午の節句」で厄除けに使われている「菖蒲」が武士の言葉である「尚武」と結びつき盛んに執り行われるようになりました。その後、桃の節句と同じ江戸時代、徳川幕府によって「端午の節句」は公式な行事として認められ、庶民にも広まりました。このように、鎌倉時代を境に男性の厄払いの行事となり、江戸時代以降に男の子の誕生や成長を祝う行事として定着しました。

 

「桃の節句」「端午の節句」それぞれのお祝い方法は?

「桃の節句」は雛人形の他に何が必要?

「桃の節句」といえば、真っ先に思いつくのが雛人形だと思います。雛人形は節分が終わった2月4日からならいつでも飾ることが出来ますが、雛祭り当日のみ飾ることは縁起が悪いとされていますので気を付けましょう。その他に必ず用意するものとして、厄払いの意味をこめて「桃の木」が必要ですが、最近では雛人形についていることも多いです。雛人形と一緒に飾る菱餅は、白は雪(清純・純潔)、赤は桃(魔除け)、緑は草(健康)をそれぞれ意味しています。同じくひなあられに使われている色も同じ意味で使用されていますので、ぜひ用意しましょう。

「桃の節句」で食す食べ物は?何でお祝いする?

「桃の節句」で縁起が良いとされている食べ物は、「ちらし寿司」「はまぐりのお吸い物」が一般的ではないでしょうか。「ちらし寿司」は平安時代から桃の節句に食べられていた「なれ寿司」が変化したもので、中に入っている海老は「腰が曲がるまで長生き出来ますように」、そしてレンコンには「先が見通せるように」との願いを込めて入れられています。

 

「端午の節句」では鎧兜・こいのぼりの他に用意するものは?

「端午の節句」で一番に思い浮かぶ「鎧兜」は、元々武士が神社にお参りする際に、鎧や兜を奉納していたしきたりに由来しています。一方で、「こいのぼり」は江戸時代、庶民から生まれました。鯉は非常に生命力が強いだけではなく、中国の故事に「鯉が急流を登り、竜門という滝を登り、天まで上る」という話があり(登竜門の由来ともなっている)その話を基に、子どもが強く健やかに成長することを祈るだけでなく、将来出世をするようにとの願いが込められています。そして「五月人形」も江戸時代の庶民から生まれました。元々武家で飾られていた鎧兜の頂きに、つけられていた人形の細工物が独立し「五月人形」になったと言われています。当時流行していた「人形(ひとがた)信仰」と結びついた結果広まりました。

「端午の節句」縁起の良い食べ物は?何を食べる?

元々武家社会において縁起が良いとされていた柏の葉。新芽が出るまでは葉が落ちないという特性から家督が絶えないと言われていました。そのため「柏餅」は武家社会からの風習として今でも食べられています。一方で「ちまき」は平安時代、中国から日本の貴族階級に伝わりました。中国の詩人の命日であたる5月5日にちまきを食べて供養したことに由来していると言われていますが、日本では携帯食としても長年愛されてきた身近な食べ物ということもあり、食されているとも言われています。また、初節句を迎えるお子さんがいるご家庭では、縁起が良いとされている「鯛」「赤飯」などのお祝い膳を用意する場合もあるようです。

お祝いのマナーは?誰を呼ぶ?お祝い金は必要?

「桃の節句」「端午の節句」ともに両家両親とお祝いして

昔は「節句」の行事は父系の両親のみ一緒にお祝いする地域が多くありましたが、現在は子どもの数も減り、両家両親とお祝いする機会が増えました。節句だけではなく、以前は父系のみでお祝いしていた、お食い初め、お宮参り、七五三などの行事も現在では両家両親と共にお祝いするご家庭が増えてきているようです。

 

節句にお祝い金は必要?

昭和、もしくは平成の初期あたりまでは雛人形、鎧兜など初節句で揃える品々は、母の実家が購入するのが一般的でした。ですが、近年は両家の祖父母で折半する、父の実家が揃えるなどご家庭の事情によって変化しています。事前にこういった品々を贈ることでお祝いは終了していますので、改めてお祝い金を渡す必要はありません。初節句などのお祝いが外食の場合は、祖父母・叔父叔母など、同席した人は相応の金額を包む場合もあるようですが、その場合は事前に両家で金額について取り決めておくと安心です。

 

まとめ

「端午の節句」「桃の節句」について、その由来・用意する物・マナーについてまとめてご紹介しましたがいかがでしたか。それぞれ古くから行われている行事ですが、時代によって様々に変化してきました。現在は、それぞれのご家庭の事情などによって飾るものを選んだり、お祝い方法にも違いがあります。ライフスタイルに合わせて、お子さんの節句をお祝いしてくださいね。

 

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ナノマム編集部

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